1910年(明治43年)

東区唐物町1丁目大阪商盛組内に於いて同組有志者が発起人となり株式会社大阪美術倶楽部が創立した。

1911年(明治44年)

東区淡路町4丁目に約600坪の土地を購入し同年12月工を起し約1年有余の日月を閲して純日本式2階建家屋約350坪施工した。 創立以来当倶楽部の事業は専ら会場を貸与するのみで書画骨董類の入札会及び交換会は組合の主催であったが大正7年に至り入札会に限り会社の直営とした。

1928年(昭和3年)

都市計画事業の開始により敷地の幾部を買収されるに至り止むを得ず建造物の一部を毀ち一大改修を行い昭和4年10月改修工事完成し社屋の面目一新した。

1935年(昭和10年)

創立25周年記念事業として蒐集の大を以て世に聞えた鴻池、根津、大原、御三家の貴宝名什を一堂に展列し祝賀茶会を催した。

1937年(昭和12年)

北支事件の勃発に伴い同年8月貴石貴金属製品等所謂奢侈品に対して北支事件特別税法が公布され更に同13年4月支那事変特別税法が施行され入札交換会に大きな打撃を受けた。

1940年(昭和15年)

奢侈品等製造販売制限令(七、七禁令)が発布され金属製美術品の販売が極めて困難となった。

1942年(昭和17年)

五都美術倶楽部の申合せにより商号を株式会社大阪美術会館と変更した。
大阪古美術報国会を結成し古美術による国威発揚に尽力した。

1943年(昭和18年)

戦時財政の膨張に伴い物品税が大幅に増徴され全く禁止的課税となり入札会等は催されなくなった。

1945年(昭和20年)

空襲で創立以来全国的な美術品の交易市場として将又展覧会場として美術文化財の保護保存と興隆に貢献し幾多の先輩が困難を克服し死守して来た豪華優雅な美術の殿堂は一朝にして灰燼に帰した。

1946年(昭和21年)

旧商号大阪美術倶楽部に改称した。

1947年(昭和22年)

美術界に由緒ある鴻池男爵家本邸である現在の東区今橋2丁目の土地家屋を購入し同時に淡路町4丁目の羅災地を譲渡した。

1948年(昭和23年)

新社屋移転祝賀茶会を催した。

1951年(昭和26年)

戦後はじめて入札会を催したところ江湖美術愛好家の好評を博す爾来年四回定期入札会を催し逐年盛況を見る。

1958年(昭和33年)

急速なる文化の向上に伴う自家用車の普及に鑑み副業としてモータープールを企劃約40坪のパイプハウス式モータープール場を建設、更に翌34年10月鉄骨組立約160坪を増築し事業大いに殷賑す。

1960年(昭和35年)

創立50周年記念名宝展並びに記念茶会開催。
国宝8点、重要文化財16点、重要美術品9点を含む名品124点を展列し祝賀茶会を開催した。

1965年(昭和40年)

木造一部を取り壊し地上3階、地下1階延350坪の鉄筋新社屋を新築し事業を拡大する。

1980年(昭和55年)

鉄筋4階建て延470坪のビルを増築し美術品の取引市場並びに本格的な貸し会場として事業を拡大する。

1998年(平成10年)

創立90周年記念事業として大阪物故日本画家回顧展を開催する。

2000年(平成12年)

第1回大美特別展を大阪美術商協同組合と協同で開催。

2007年(平成19年)

昭和22年より使用してきた鴻池男爵家本邸を建替し地上3階建ての新館が完成。

2010年(平成22年)

創立百周年を迎え、記念茶会を開催。